本格的にナンパの世界へ
- 2015/10/11
- 00:13
2010年の1月に初めてナンパをして以降、2月は全く活動せず1ヶ月以上ナンパをしない期間が続く。
そのままナンパの世界からドロップアウトして、相変わらずの清きつまらぬ日常を過ごす日々。
…とはいかなかった。
同年3月に福山ちんげはるさんから再び合流のお誘いをいただき、素晴らしきナンパの世界に返り咲き。
僕はここから本格的にナンパを始めることになる。
それ以降は時間を見つけてはミナミや天王寺へ足を運んではひたすらナンパ。
しばらくすると梅田や神戸の三宮にも範囲を広げて活動するようになった。
ブログやTwitterを始めたのもこの頃。
当時のブログはアメブロで、最初の頃は今の文とは全然違い顔文字や絵文字、(笑)もたくさん使っていた。
ネットを通じてやナンパ仲間から数珠繋ぎで多くの方々と合流させていただくことになる。
今思えば、最初の頃は全く結果が出なかった。
しばらくは番ゲすらもできなかった。
特に大阪のミナミは人当たりの強い女のコが多くてガンシカが当たり前。
ガンシカ、ガンシカ、雨、ガンシカ。
権藤博さんもびっくりのガンシカ投手の連投っぷり。
(これは今でもさほど変わらないが。)
アトー・ワイ(元ナンパ仲間)曰く、「初めてが即った事を岩クマーにメールしたら、電話で『どんなんやった!?どんな風に即ったん!?』ってめっちゃ必死に聞いてきた。」ってくらいショボかった。
普通ならここまで結果が出ないと挫折してしまうところだが、僕は人よりも根性があったし、周りに共にナンパを楽しめる仲間がいたので継続することができた。
そして近くに結果を出されている方々がいらっしゃったので、ちゃんと頭を使って行動を続ければ必ずゲット確信があった。
先輩ナンパ師の方々に助言を求めたり、ナンパしている姿を見て技術を盗んで、それらを取捨選択して自分に合うように改良して試す。
ナンパをする前に目標を立てて、活動の都度にブログに記録して改善する。
言葉では意識していなかったがPDCAそのもの。
それを繰り返して地味ながらも着実に前へと進んでいった。
ナンパ講習や教材で学んでいればもっとよりステップアップできたのかもしれないが、それらに頼ることは一切なかった。
偏見だったのかもしれないが「当時のナンパの主流=ウィッグ被って即系を狙う」みたいな印象があり、そんなつまらないモブキャラナンパ師には絶対になりたくなかった。
それらにお金をかけることに対して勿体なく感じたのもあったし、なによりも人のやり方に染められることを僕のちっぽけなプライドが許さなかった。
だからこそ(同じことをしていた先駆者はいただろうが)自分オリジナルのナンパを磨くことができたし、築き上げたことに対してそれなりの自信と誇りを持っている。
そういった経緯があるので、僕が人様にナンパを教える際は、その方のスタイルを出来るだけ変えずにそのまま伸ばしたいという思いがある。
地道に成長を続けた僕のナンパは、同年6月、紫陽花とともに花開くことになる。
そのままナンパの世界からドロップアウトして、相変わらずの清きつまらぬ日常を過ごす日々。
…とはいかなかった。
同年3月に福山ちんげはるさんから再び合流のお誘いをいただき、素晴らしきナンパの世界に返り咲き。
僕はここから本格的にナンパを始めることになる。
それ以降は時間を見つけてはミナミや天王寺へ足を運んではひたすらナンパ。
しばらくすると梅田や神戸の三宮にも範囲を広げて活動するようになった。
ブログやTwitterを始めたのもこの頃。
当時のブログはアメブロで、最初の頃は今の文とは全然違い顔文字や絵文字、(笑)もたくさん使っていた。
ネットを通じてやナンパ仲間から数珠繋ぎで多くの方々と合流させていただくことになる。
今思えば、最初の頃は全く結果が出なかった。
しばらくは番ゲすらもできなかった。
特に大阪のミナミは人当たりの強い女のコが多くてガンシカが当たり前。
ガンシカ、ガンシカ、雨、ガンシカ。
権藤博さんもびっくりのガンシカ投手の連投っぷり。
(これは今でもさほど変わらないが。)
アトー・ワイ(元ナンパ仲間)曰く、「初めてが即った事を岩クマーにメールしたら、電話で『どんなんやった!?どんな風に即ったん!?』ってめっちゃ必死に聞いてきた。」ってくらいショボかった。
普通ならここまで結果が出ないと挫折してしまうところだが、僕は人よりも根性があったし、周りに共にナンパを楽しめる仲間がいたので継続することができた。
そして近くに結果を出されている方々がいらっしゃったので、ちゃんと頭を使って行動を続ければ必ずゲット確信があった。
先輩ナンパ師の方々に助言を求めたり、ナンパしている姿を見て技術を盗んで、それらを取捨選択して自分に合うように改良して試す。
ナンパをする前に目標を立てて、活動の都度にブログに記録して改善する。
言葉では意識していなかったがPDCAそのもの。
それを繰り返して地味ながらも着実に前へと進んでいった。
ナンパ講習や教材で学んでいればもっとよりステップアップできたのかもしれないが、それらに頼ることは一切なかった。
偏見だったのかもしれないが「当時のナンパの主流=ウィッグ被って即系を狙う」みたいな印象があり、そんなつまらないモブキャラナンパ師には絶対になりたくなかった。
それらにお金をかけることに対して勿体なく感じたのもあったし、なによりも人のやり方に染められることを僕のちっぽけなプライドが許さなかった。
だからこそ(同じことをしていた先駆者はいただろうが)自分オリジナルのナンパを磨くことができたし、築き上げたことに対してそれなりの自信と誇りを持っている。
そういった経緯があるので、僕が人様にナンパを教える際は、その方のスタイルを出来るだけ変えずにそのまま伸ばしたいという思いがある。
地道に成長を続けた僕のナンパは、同年6月、紫陽花とともに花開くことになる。