ナンパを始めたのは2010年の1月。
25歳の頃。
当時、2年半ほどお付き合いをしていた彼女がおり、そのコとの関係はマンネリになりつつあった。
「このままダラダラ付き合って、そのうちこのコと結婚でもするんかな。」
そんな今後の人生をぼんやりと思い浮かべる。
その傍らで、こんな懸念もあった。
「あれ僕の人生それでええんかな?
もっと色んな女性と遊んでおかなもったいなくないか!?」それまでの経験人数は4人。
世間一般の25歳の男性ならば多くもなく少なくもない普通の数字だろう。
この数字を4のままで止めてしまって良いのだろうか。
いや、良くない。
よし、ナンパしよう。この決断が、僕のナンパの道への第一歩だった。
まず、ナンパを始めるにはどうするか。いきなり街に出て、知らない女性に声をかけられるか?
いや、できない。
そうや、
誰か一緒にしてくれる人を探そう。ネットで検索して辿り着いたのが、2ちゃんねるの「関西ナンパ仲間募集スレ」みたいな名前のスレッド。
そこでお知り合いになった方お二人と別々に合流させていただくことになる。

向かった場所は
大阪のミナミ。
グリコの看板でおなじみの2大繁華街の一つだ。
もう一つの繁華街・梅田の方が自宅からは近かったが、知り合いバレを避けるためにこちらを合流場所に選んだ。
最初に合流していただいた方は、ナンパ経験のある僕より少し年上の方。
ここではお名前を初相方さんとしよう。
夕方に待ち合わせて軽く挨拶を済まして、さっそくナンパをするために難波側から戎橋筋商店街のアーケードに入る。
曜日は覚えていないが、その日のアーケードは身動きが取り辛いほど混雑していたことは鮮明に覚えている。
まず初相方さんにお手本を見せていただき、それからコンビやソロで声をかけていく。
僕のソロでの声かけは2回だけだったと記憶している。
知らない女性を後ろから追いかけるようにして近付いて横から声をかける。
たったこれだけのことなのに、もの凄くドキドキした。
会話はほとんど続かなかったが(ガンシカだったかも)、これが「ナンパ」というものなのか。
その時に初相方さんから教わったことで覚えているのは
・躊躇して声をかけれない僕に対して仰った「気になったらGOや」
・コンビナンパをする際は2人組を両側から挟んで1対1になるように会話する
という2点。
最終的にその初相方さんは一人で旅行者の女のコを連れ出しされてそのまま別れ、後日にお会いしたのも1度きりだが、これらの教えは今でもちゃんと僕の中に残っている。

初相方さんと別れた1、2時間後にお二人目の方と合流。
指定された難波の高島屋の前で待ち合わせて、そこに現れたのは背の高いスーツ姿の方。
歳は僕より10歳くらい上らしいが見た目はそれよりも全然若い。
慣れ慣れしいと思えるほど積極的に話しかけてきてくださり、年齢差を感じさせないほど非常に親しみやすかった。
その日、彼と何を喋って、ナンパはどうなったのかは覚えていない。
なぜなら、
この日以降に幾度もお会いすることになるからだ。よくお誘いをいただき、ミナミや天王寺で何度も何度も合流をして共にナンパを楽しんだ。
当時オープンしたばかりのミナミのジラフというクラブにもよくご一緒させていただいた。
彼のことを本当に兄のように慕っていた。
(同年の秋、偶然だが本当に穴兄弟になってしまう。) 技術的なことはあまり教えてくださらなかったが、僕はその後ろ姿を追い求め街へと駆り立てた。
もし彼との出会いがなければ、僕は最初の段階でナンパを止めてしまい何年も継続して活動することはなかっただろう。
この彼の存在が無ければ今の僕はいなかったと間違いなく言える。あのご縁に心から感謝したい。
ある日、この彼がパーマをかけて来られた時の会話。
岩「どうしたんですかその頭!
ちん毛を移植されたんですか?」「なんでやねん、福山雅治みたいでカッコええやろ!」これ以降、そのお方は自らを
福山ちんげはると名乗ることになる。
数年後に彼はフェードアウトされる形でナンパの世界から退かれたと思ってたら、フラっと復活してたりしてなかったり。
またお会いさせていただくことがございましたら、その際はよろしくお願いします。